Masakazu Yoshida

河東碧梧桐のこと

2015-05-15 12:00

俳句のことを何も知らないので、とりあえず近代から現代にかけての俳句の流れを知っておこうと思い、このところ俳句の本を読んでいる。昨日は、大学の図書館にあった「新訂俳句シリーズ・人と作品」から「河東碧梧桐」を借りてきた。読みにくいけれど「かわひがしへきごどう」と発音する。

このシリーズのいいところは、作家研究編と鑑賞編の二部構成になっていることだ。ざっと目を通すと、その俳人の業績を一望できるだけなく、必然的に俳句の歴史的な流れや現代の俳句が抱える問題点についても知ることができる。

なぜ河東碧梧桐なのかというと、松山の子規記念博物館の展示を眺めていたときに「碧梧桐」の文字が目について気になっていたからだ。図書館で「種田山頭火」を借りて、次はどれにしようと思ったときに、並んでいた「放哉」「虚子」「碧梧桐」の中からなんとなく手にとった。

碧梧桐は、子規の没後に虚子とともに近代俳句を引っ張っていった人らしい。虚子がどちらかというとオーソドックスな路線、つまり、五七五の調子と季語をもつ平明な句を目指したのに対し、碧梧桐は、自由律と無季(季語がない)俳句へと進んだ。晩年は不遇であったらしく、虚子が後進の育成に熱心であったのに比較して、碧梧桐は狷介孤高の性質だったこともあってか、還暦に際して俳句からの引退宣言(敗北宣言)に追い込まれている。

俳句の入口でうろうろしているレベルでの感想であるが、自由律で無季の俳句に引かれるものがある。俳句をつくるときに、五七五調と季語が厳しい制約に感じるからだ。その縛りを守っていると月並のものしか書けない感覚がある。(ついでに言えば、文語調も私の好みでない。現代口語で書きたい。そうでないとピンとこないので。)

最後に碧梧桐の句をひとつ:

 赤い椿白い椿と落ちにけり

写真でいえば90ミリの望遠レンズで対象をクローズアップしたような写実の句だと思う。碧梧桐の句としてよく知られているものの一つだそうだ。

一般に、俳句のような短詩型は事実を描写で切り取ることはできても、人間の感情や気持などを表現するのが難しいとされる。そこをどう切り広げるかの一つの方法論が、自由律や無季であるように思うので、先達がどのような道を辿ったのかもうちょっと調べようと思う。

次は、尾崎放哉、萩原井泉水あたりを見てみよう。